〔プロフィール〕
平成11年生まれの19歳。
10歳の頃からインスタントカメラを使い始める。16歳でポートレートの世界に引き込まれ、友人をモデルに撮影を開始、同時に有限であるその愛おしい女子高生時代が確実に終わっていくという事実に絶望する。それを克服するために毎日カメラを高校に持ち込んで約2年間の学校生活を記録した。
現在は現役大学生の傍、写真家として活動中。
〔Twitter〕
〔展示〕
2019年9月27日(金)~29日(日)
12:00~20:00(日曜日~17:00)
「青春が憎い」
ヤスダ彩
スペースO
〔概要〕
10月3日に20歳になるということで、その節目として会期を10代最後の週に設定しました。これは今まで長らく「個」としての作品としてではなく"現役女子高生の"・"現役女子大生の"・"19歳ならではの"・"10代ならではの"とラベリングされて見られてきたことや、それでもそれらを武器にするしかないという現実に対する皮肉、一方でそのブランドが失われてゆく恐怖感との葛藤、そしてこれからそれらが無くなったとしても、私は私という「個」の存在として撮り続けていくという自分なりの覚悟です。
青春が憎い。
メディアやSNSの急速な発達によりブランディングやコンテンツ化が容易になった昨今、「青春」というワードが安売りされ、ただの陳腐なコンテンツとなり消費されていく様子を目の当たりにしてきました。高校在学時、周りの友人たちが純粋に高校生活を楽しむ中でひとりこの輝かしく愛しい日々の終焉に絶望していた私にとって、その青春という言葉が憎くてたまりませんでした。ウチらの必死な生き様を薄っぺらい言葉でコンテンツ化して消費すんなよ、青春舐めんな。共感や欲望や感動のための記号になってたまるか。そう思いながら無我夢中で撮り続けてきました。
私の高校生活は決して真っ直ぐな光だけが降り注ぐものではありませんでした。屈折した劣等感や無力感に何度も殺されかける日々でした。だからこそ、目が眩むようなその光の輪郭がどうか消えないようにと祈りながら、確かめるように何度もなぞるしかありませんでした。私にとって写真は祈りでした。
大人になったら忘れちゃうかもしれないけどこの光は不完全で不安定で不確かなものです。そして必ず消えます。例えそれが真っ直ぐでも屈折していても消えます。そして多くの大人たちは、忘れてしまったその光を集約して都合の良い美談に仕立て上げます。まるですべてが真っ直ぐな光だったかのように。
やがてあれだけ清らかで強くて美しかった(ように見えていた)すべてが、あらゆる光が、わたしを置いていつのまにか遠いところに消えてしまいました。段々とその輪郭がぼやけていって次に瞬きした時には消えてしまうような感覚がした、あ〜〜あ、ほら消えちゃった。あんた今消えたよ、さよなら。
〔プロフィール〕
平成11年生まれの19歳。
10歳の頃からインスタントカメラを使い始める。16歳でポートレートの世界に引き込まれ、友人をモデルに撮影を開始、同時に有限であるその愛おしい女子高生時代が確実に終わっていくという事実に絶望する。それを克服するために毎日カメラを高校に持ち込んで約2年間の学校生活を記録した。
現在は現役大学生の傍、写真家として活動中。
〔Twitter〕